ダメもとでやってみる

 

先日、ダメもとでやってみたことがあります。

ある方との交渉

もしうまくいかなかったら・・・

その時、最悪の場合は私が損失を引き受けようという覚悟をしました。

 

なぜそれができたのか・・・?

守りたい人達がいたから

守りたい人がいると人は強くなれるのですね。

その時、自分に問いかけたのは「これからの人生、私はどう生きたいのか?」

そうすると、おのずととる行動がみえてくる

 

結果は・・・

ダメもとだったのだけれど、道は開けました!!

守りたい人達を守れました。

私も損失はありませんでした。

 

「あなたは、これからの仕事人生、どう生きたいですか?」

「あなたは、これからのあなたの人生を、どう生きたいですか?」

 

 

最後までお読みいただきありがとうございました。

 

 

 

自分に空きスペースをつくる

 

密集してるところは光が入りにくいですが、隙間があると光が入ってきますね

 

ぎゅうぎゅう詰めで仕事を頑張っているあなた

自分に空きスペースを少しだけでもつくってみませんか?

新たなものが入ることができるスペース

もしかしたら、それは今のあなたに必要な何かなのかもしれません。

 

いっぱいいっぱいで仕事をしていると気持ちの余裕がなくなります。

力の入れ所を見極めて

力の抜き所を見極めて

 

高い基準を下げてこのくらいでヨシとすることも必要

高い水準を目指して努力することも必要

 

良い意味であきらめること、手放すことも必要

あきらめずに粘り強くやることも必要

 

必要な時は力を入れて

必要な時は力を抜いて

 

誰かのせいではなく

結局、自分が見極めていかねばなりません

必要な時はNoと断ることも必要

でもYESと引き受けて頑張ることもまた必要

 

今、人生においてそんなトレーニング中なのではないでしょうか?

先日クライアントの方とのセッションでそんなお話がでました。

(ブログ記事にしても良いと許可をいただきました。〇ちゃん、感謝。)

 

もし、あなたに2~3割のスペースがつくれていたとしたら・・・

どんなことが起きているでしょうか?

 

最後までお読みいただきありがとうございます。

 

 

 

シーソーゲーム

 

Aにしようか・・・それともBにしようか・・・迷うことがあります。

すぐ決めれる内容の時もあれば

その選択が自分の人生にとって大切な選択であればあるほど

時には、長い間シーソーゲームのように迷うこともあります。

 

どちらを選んでも五分五分だから迷う

決められないということは、実はどちらでも良いからなのです。(笑)

8対2ならそんなに迷うこともありませんよね。

 

しかし、人生のどこかでは

どちらでも良いとわかっていても、決められない時があるのです。

いろいろな視点で考えてみても

メリット、デメリット両方書き出してみても

そういう時は苦しく感じるかもしれません。

 

時として、Aと決断したつもりでいても、

しばらく時間や期間が経過するとやっぱりBだなと決断します。

しかし、またゆらぐ

A側に立っている時は、もっともらしくAを選択する理由や出来事がやってくる

B側に立っている時は、もっともらしくBを選択する理由や出来事がやってくる

やっかいです💦

 

しかし、そのシーソーゲームは苦しいんだけれど

行ったり来たりするシーソーゲームを繰り返すこと自体にも意味がある

行ったり来たりすることが悪いことでもないのです。

 

だから・・・

もし、今後ものすごく迷うシーソーゲームにはまる時が来たときは

たっぷり悩みましょう。考えましょう。

もうこのくらいでいいか・・・と行き着くまで

シーソーしてみるのも一つです。

そうするといつか決まる時がやってくる

そんな流れがやってくる

 

最後までお読みいただきありがとうございます。

 

 

 

自分を守ろうとする自分

 

今抱えている仕事、なかなか前に進まない

仕事部屋から脱出して気分を変えて近くのカフェへ

ちょっとは考えられたけれどまだ堂々巡り中

 

今日は思い切って車で片道40分ぐらいかけたカフェへ

アイディアをひらめくには思い切るのも良いかと

以前行った時に、とっても居心地が良くて長居もできたから・・・

 

しかし、今は夏休みということもあってか

行列していて断念 💦

もともと、行ったとしても考えがまとまるかどうかはわからない

期待せずに行こう!と決めていたので、現状の受け入れはOK

 

そして、あることに👀気づきました。

私の意識の部分では仕事をやる気満々だと思っていた。

時間をかけて環境変えてでも取り組もう!!としていたのだ。確かに。

 

でもね・・・気づかない無意識の部分では

難解なその仕事に向かいたくないから必死に逸らさせようとしていた

だから、近くではなくて時間のかかる遠くが都合良かったし

しかも混雑していて断念。実は喜んでいた?

 

気づいていなかったもう一人の自分が望んでいた結果

苦しさから自分を守ろうとしていた(自己防衛機能)のだなと思うと

私の自己防衛機能はスゴイ!と思うと同時に笑えてきました。

 

最後までお読みいただきありがとうございました。

 

 

 

 

相手にも自分にも選択権がある

 

部下やメンバーを注意する時、ためらう気持ちになりませんか?

まずは「伝えてもいい、伝えなくてもいい」という選択権が自分側にあります。

 

「伝えない」を選んだ時は・・・

伝えない楽さはありますが、それで相手が変わらなくてもグチれませんね(笑)

 

「伝える」を選んだ時は・・・

あなたが自由に選択したのと同じに

相手にも「受け取る、受け取らない」という選択権がある。

 

相手の反応まではコントロールできません

受け取ってもらえるかもしれない(その時はラッキー)

受け取ってもらえないかもしれない

受け取れない状況にあるかもしれない

その時受け取られなくても、後々気づいて変化する場合もある

 

相手が変化する結果までを求めるとなかなか伝えられない

受け取られなかった時の自分を無意識的にイメージしている

それは体験したくないから・・・

 

自分にできることは、ただ言葉を選んで想いをちゃんと伝えること

その先は相手の管轄だと思えば、少しだけ気持ち楽に伝えられませんか?

1度でダメなら、また次、それでもだめなら別な手段で・・・ね! (^_-)-☆

 

最後までお読みいただきありがとうございました。

 

 

 

本当に聴くって?

 

小さな子供もあかちゃんも、日本語がまだうまく話せないけれど

代わりに泣いて知らせようとする技をもっている

生れた時から「わかってほしい」という本能的な欲求をもっている

それは大人になってもひそかに持ち続けているから

 

嬉しかったことも、楽しかったことも伝えたくなるし

悲しかったことも、怒っていることも

大変だったことも、頑張ったこともわかってほしい

話せてしっかり「わかったよ」と受け取ってもらえると

安心できてまた次に踏み出していける

 

小さな子供に尋ねるように

「どうしたの?」「何があったの?」

先入観なくただ尋ねる

相手のことをただ純粋に知ろうと聴く

 

「そうだったんだね。わかったよ。」と受け止める

「それで、どうしたいの?」と尋ねる。

相手の答えがただそこにあって、それをありのままにみる

自分のジャッジはそこにはない

その時に、深い意識状態での気づきや答えにたどり着いている

 

本当に聴くって奥が深い

 

最後までお読みいただきありがとうございました。

 

 

 

叱る勇気

 

部下やメンバーを叱ったり、注意したりするのは

誰しも決断が必要だったり、勇気がいったりします。(私もです💦)

なかなか叱れないという場合、何がストッパーになっているのでしょうか?

 

叱る(注意をする)とどうなると思い込んでいるのでしょう?

「相手に嫌われる」、「相手を傷つける」、他にもあるかもしれません。

 

これらの思いの裏側には

「相手に嫌われることから自分を守りたい」

「相手を傷つけることによって傷つく自分を避けたい」

という自己防衛が働いています。

 

しかし、このように感じてしまう自分がダメなのではなく

こうやって自己防衛機能が働いて危険から自分を守ってくれている

 

その上で、これまでの体験をふり返ってみると・・・

叱る = 嫌われる  は100%そうではないことが判明しませんか?

 

怖かったけど好きだった指導者の存在

よく叱られたけど、それによって成長できたと思える上司の存在

ダメな時にはちゃんと叱って指導する姿勢に信頼を寄せるメンバーもいること

 

仮にその時はショックがあったとしても

後で冷静になって考えると(時には1年後~10年後などの時もありますが)

あの体験があって今の自分があるという感謝の気持ち

 

存在承認というのがあります

相手の存在そのものを認めて大切にしている状態

もし、その状態の自分で叱ったとしたら・・・?

 

本当に必要だと感じた時には、

ちょっとだけ、自分を守っている壁を自ら下げてみませんか?

 

最後までお読みいただきありがとうございます。

 

 

 

完璧主義

 

「完璧主義」という言葉から描くイメージにはどんなものがありますか?

頑張り屋さん

けれど、人一倍頑張り過ぎて疲れてしまう

こだわり

自分にも誰かにも、つい厳しくなってしまう

まだまだ自分なんて・・・と思う

それが苦しみやストレスをつくることがある

私にもあるあるです。

 

ですが、いつもどんな時にも「完璧主義」かというとそうではない

よ~く振り返ってみましょう

完璧主義の時もあるけど、全く真逆のゆる~い時も確かにある

つまり、「私 = 完璧主義」、「あなた = 完璧主義」なのではない

完璧な考え方や行動をとろうとする時があるだけ

 

そして、

完璧主義を全く手放そうとすると・・・発見

「それでは仕事の質があげられなくなるのではないか」という不安

「いい加減な自分になってしまうのでは?」という恐怖

「完璧主義の部分があったからこそ、頑張ってきて今の自分がある」という愛着

 

完璧主義は時に嫌だけど、同時にとても大切なものなのです。

 

最後までお読みいただきありがとうございました。

 

 

 

「遊びごころ」

 

私の好きな言葉の一つに「遊びごころ」があります。

 

仕事で「遊びごころ」をちょこっと入れたくなる

その時々で違いますが、

ワークだったり、環境やグッズだったり、資料やテキストだったりに・・・

ほんの「ちょこっと」ね

 

そうすると、プログラムを考える時から楽しくなる

「皆がどんな反応をするのかな~?」と受講生の方に意識が向く

もちろん、私の期待どおりの反応があるとは限りません

その時の私の様子を想像すると、それも笑えます(苦笑いですが)

 

「遊びごころ」は「自分らしく」にもつながっている

 

Q)あなたの中にある「遊びごころ」を活かすとしたら・・・

何をどんなふうにやりますか?

 

最後までお読みいただきありがとうございました。

 

 

頑張りすぎているあなたへ

 

少々頑張り過ぎていませんか?

 

そんなに抱えて頑張り過ぎてると

身体が緊張し、かたくなって、呼吸も浅くなってしまいます。

もしかしたら、あなたにとっては

少し怠けるぐらいの方がちょうど良いのかもしれません。

 

少し力をぬいて深呼吸

 

時には、自然とふれあってみたり・・・

 

時には、こんな感じてお昼寝・・・

仕事の時は、昼休憩に10分でも15分でも机で伏せて目を閉じるだけでも

 

思い切ってやめてみることは何ですか?

このぐらいできていたらOKにしようとあきらめることはありませんか?

ちゃちゃっと簡単にしてしまえることは?

「私にはできません。」と辞退することはありませんか?

 

少しはずしてみる。

高い理想(基準)を下げてみる

そうすると・・・気持ちが楽になりフットワークが軽くなる。

その時、本来のあなたの力が発揮できます。

 

最後までお読みいただきありがとうございます。