これからをどう行くか?

 

ある2人のコーチの生き方からとても刺激を受けました。

 

最近、考えること・・・

残りの人生、私はどう生きたいのか?

残りの仕事人生、私はどんなことをどんなふうにやって行きたいのか?

 

日頃はそこまでは意識していないけれど

やはりタイムリミットがある

その時になって考えても出来る事と出来ない事があるだろう

 

今、考えてみよう

すぐに答えが見つからなくてもいい

問いをもっておくだけでもいい

 

あなたは、残りの人生どう生きたいですか?

あなたは、残りの仕事人生どう行きたいですか?

 

人は焦点を当てたものにしか気づけないから・・・

 

最後までお読みいただきありがとうございました。

 

 

 

深刻にならなくてはいけない。そして深刻になり過ぎてはいけない。

 

深刻にならなくてはいけないけれど、深刻になりすぎてはいけない

そんな二つの相反する葛藤の綱引きが私の中にあるな~と感じます。

この感覚は、葛藤として登場してくるからこそ気づける大切なサイン

 

いろいろな出来事や場面の時にもつながること

それぞれの言い分にちゃんと耳を傾けて

その上で、選択したり解決策を考えたりする

 

巻き込まれると、そわそわして落ち着かない状態に・・・

すると、

本当に必要なことが出来なくなったり、何かを見失ったりします。

 

まずは、深呼吸

そして、呼吸に意識を向けて内面を静かに整えて

目の前のやるべきことに集中して、一歩一歩進んでいこう

 

あなたが今、集中してやる必要のあることは何ですか?

あなたは、今何に集中したいですか?

 

最後までお読みいただきありがとうございます。

 

 

 

意識が変わると見えるものが変わる!

 

全5回(10日間)のセミナーを受講中

A4のレポート1枚(1~2ページ)に実践したことや気づきをまとめ

次の回に提出するのが宿題

参加者はメンバー26人分のレポートを持ちかえり、読んで学びを共有します。

また、メールリストがつくられていて、

参加者は自由に感じたことや気づきをメールに書き込めるようになっています。

 

私は、皆さんからいただいたレポートを翌日すぐに読ませていただきました。

メールリストでは、レポートを読んでの気づきややり取りも行われています。

メールのやりとりを拝見しながら、私は「はっ!!」と衝撃がはしりました。

 

私はこのように皆さんのレポートをちゃんと読んでいたのだろうか?

これほどまでにメンバーひとりひとりを大切に扱っていたのだろうか?

自分を振り返り、胸に痛みを感じました。

 

「もう一度読んでみよう!」そう思い、再びレポートを手に

そして読み始めると・・・

今度はなかなか読み進めることができません。

しかし、その人を理解しようとじっくり・・・じっくり・・・読んでいく

すると、視点が広がりました。深いレベルでの学びや気づきがありました。

自分の意識(在り方)が変わると、得る情報(気づきや学び)も変化する

そのことを身をもって感じました。

皆さんの学ぶ姿勢から学ばせていただきました。

感謝。

 

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

 

 

 

あれも伝えたい・・・これも伝えたい・・・

 

あれも伝えたいしこれも伝えたい

どれも大切で外すものがない

でもこのままだとボリュームオーバー

 

レポートを書く時、勉強会で講師を務める時、会議で・・・

このような状況になることはありませんか?

部下へのアプローチの場面でもあるかもしれませんね。

 

まずは、「あれもこれも」というその状態自体は悪いことではないということ

それだけ素材があるということだから

 

そして、3つの視点で考えることができます。

①「外せるものは何だろう・・・?」

②「これだけは絶対外せないものは何だろう?」

③原点(タイトル・テーマ・何のため)に立ち戻ってみる

 

①がだめでも②や③で見つかることがあります。

②がダメでも①や③で見つかることがあります。

 

最近あった私の場合は、③の「タイトル」に立ち戻ったら

霧が晴れる様に外せるものが見えてきました。

 

大切だし伝えると良さそう。

けれど、今回は外すと決めました!

外すのは残念なんです・・・

私自身が「やりたい」を「断念する」、「あきらめる」、「手放す」ことが必要

 

最後までお読みいただきありがとうございます。

 

 

 

もう少ししたら研修に出発!・・・って時に

 

あと3時間で研修に出発!・・・という時に

偶然出会ったある方が、「ねえ、聞いてよ」と話しかけてきました。

「もうムリ~今日は本当にいろんなことがあって・・・散々だった~。」

ネガティブな感情と共にすごく話を聴いてほしそうなのがわかりました。

 

「さあ、私、どうする?」

瞬間的にこの問いが立ち上がり、私の中のコンピューターが作動

 

研修時間にギリギリだったらまだ簡単な選択だったのかも?

3時間という時間がある意味微妙だったからこそ迷いました。

 

困っている人を助けたい

人に親切にしたい

相手を大切にしてちゃんと人の話を聴きたい

そこには純粋な想いと、「ねばならない」という価値観が同時にある

 

しかし、研修先の受講生の方の立場に立つと

ここで話を聴くことは準備時間のロスになる

ネガティブな感情を引き受けることで研修までに自分を立て直せるのか?

エネルギーを高く保つ、とっておく必要があるのです。

話を聴くことは、受講生の方を大切にできないことになる

 

その時私がとった行動は・・・

 

「ごめんなさい、今研修前で話を聴くことができない」

お断りをする方の選択でした。

その代わり、研修後たっぷりじっくり話を聞こう!!

そして、研修が終わってから会いました。

 

私の選択が本当に正しかったかどうかわかりませんが、

私がかけつけたことに対して、驚いてとても喜んでくださいました。

あの時の強いネガティブな感情も時間の経過とともに薄れて冷静になっていて

「たいしたことじゃなかった」と・・・

本当にケロリと言うので2人で大笑いしました。

 

相談された時にすぐに話が聞けない時がある

時間を気にして傾聴はできない

「後にして!」と遮断しても後悔が残るでしょう。

 

この出来事を振り返った時に、

もう少しこのように伝えればより良かったな~と振り返る自分がいる

もう少し(さらに)相手を大切にした私だったら?と思う自分がいる

 

「今は・・・(理由)で話を聴けないけど、終わったらじっくり聴くよ」

相手を大切にしてメッセージを伝えることが今よりさらにできたら

今以上に安心感を提供してさしあげることが出来ると思いました。

 

あまりにも、相手の方の雰囲気がガラリと変わっていたので???

まるで私がどう対応するかの進級テストを先生から出されたかのよう(笑)

自分への振り返りをまた次に活かしていこうと思います。

 

最後までお読みいただきありがとうございました。

 

 

 

答えはもっている

 

質問を投げかけることにより、相手の人に空白を提供することができる

すると・・・

焦点がそれまでの思考から問いの内容に切り替わる

 

人間の脳は空白がある状態を嫌います。

わからないという状態は恐怖だし不快だから

答えを知って早く安心したい、すっきりしたい

だから、できた空白を何とかして埋めようと働き出すのですね。

「人間がもともともっているすごいチカラ」

 

ここで大切なのは、相手の中に答えが「ある」ということが

本当にはどれだけ信じられているか

答えがないところからは答えはでない

答えをその人が「もっている」から出てくるのですね。

 

自分自身に対しても同じ(セルフコーチング)

今日、あらためてそう感じました。

 

ブログで何を書こうかな~

何も出てこない・・・

ウ~ン・・・時間だけが過ぎてゆく

出てこない、出てこない・・・と煮詰まっていました(笑)

その時、はっ!とする気づき

自分の中に答えがあることを、今、信じれていなかった

あらためて「自分の中に答えがある!」という位置に立って考えてみる

 

すると・・・

あ、そうか! このことをそのまま書いてみよう!

本当に答えをもっているのですね。

 

自分も相手も答えをもっている

ただ、答えが出てくるのには時差があるのです。

すぐその場の時もあるし、後からのときもある。忘れた頃のこともある。

 

すぐに答えが出たらラッキー

けれど、すぐに答えが出ない問いは、それはそれですごく価値があるのです。

 

最後までお読みいただきありがとうございます。

 

 

 

完璧主義

 

完璧主義の人は自分に厳しくなるかもしれません

このくらいじゃダメ! もっとやらなくては・・・

他者をみても厳しくなるかもしれません

相手のために配慮して、実際にその人に厳しく当たらなかったとしても

その分、抑え込んだ気持ちを持ち歩くことになりますね。

 

私は自分のことを完璧主義だと思っていました。

今もかもしれないけれど・・・(笑)

ある時、私はどうして完璧主義になったのだろう?

その問いをほりさげていった時に気づいたことがあります。

 

私 = 完璧主義 (私は完璧主義だ) と思っていましたが

私 ≠ 完璧主義 (=イコールなのではない)と気づきました。

私には完璧主義な部分(面)がある

 

よくよく考えると、私にはルーズな部分もあります。

大ざっぱな部分もあります。

怠け者の部分もあります。

いい加減な部分もあります。

何かの出来事や体験がきっかけになり

自分が自分に完璧主義だというイメージを貼りつけ、勝手に信じていました。

そのことに気づいたら笑えました。力が抜けました。

私は完璧主義な一面があるけど、完璧主義人間ではない

 

完璧主義は、あなたが自分に張り付けたレッテルではありませんか?

 

一方で、

完璧主義があるからこそ、質を高めることができる

努力しようとする

完璧主義も大切な素質ですね。

どうぞ、大切になさってください。

 

最後までお読みいただきありがとうございました。

 

 

 

淡々とやり始めてみる

 

意気込んでやると、思ったように進まないことはありませんか?

 

モチベーションが高くてやる気をもって取りかかることも有効な時もありますが

そういう時は理想や期待も一緒に高くなってしまいます。

後で「そこまではできなかった」と感じることにも・・・

 

意気込むことなく、淡々とスタートをきる

そういう時の方が結果的に集中できています。

「意外にはかどった」と感じます。

 

少しおっくうなことに向かう時も、張り切った気持ちの時も

淡々とスタートをきってみる

あなたはにとっては、どんな体験になるのでしょう?

 

最後までお読みいただきありがとうございました。

 

 

 

来年の目標は既にスタートしている

 

1月に目標設定する人、4月に目標設定する人、

その他のタイミングの人、立てない人(立てない方が良いという考えの人)

仕事では立てるけどプライベートは立てない人など・・・

職種や状況、考え方によりいろいろな方がいらっしゃると思います。

 

あくまでも私の場合は・・・ですが、

目標設定は1月のスタートの時期です。

今年は目標を言葉に表現したのは1月1日でした。

(やっていく中での修正はありますが)

 

「言葉に表現したのは」という言い方をしたのは

今年の目標をこつこつ一つ一つやりながら、いつ頃からか

「来年はどう(何)しよう?」

「どう(何)したいのかな?」

これらの問いと共に進んできたように思います。

 

目標は文字に表現するもっと前から始まっているのだな~と思います。

 

皆さんの中で、目標を立てて進んでいこうと思っている方は

1月になった時に「今年どうしよう?」と考えるのもありですが

今から「来年は自分はどうしたいのかな?」という問いをもつのもありですョ。

 

あなたは、どう進んでみたいですか?

 

最後までお読みいただきありがとうございました。

 

 

 

「不安しかない」時・・・

OLYMPUS DIGITAL CAMERA

 

「今は不安しかない」

このような時、人はどのような反応を起こしているのでしょうか?

無意識的にやってしまうことを、意識下に取り出してみると

「この状態はだめ」、「この自分は嫌い」とまずジャッジ

否定して何とか排除しようと一生懸命になります。

ポジティブなことを考えようとしたり、気を紛らわす行動をとったり

 

もし、全く真逆の考え方が世界的な常識となっていたら・・・?

つまり、不安こそが宝物で価値があるということが誰もの常識だったら

不安を必死で排除しようとするのを止めるでしょう。

不安に抵抗しなくなったその時・・・結果的に不安がやわらいでいる

 

不安を否定して排除しようとすればするほど

よけいに不安に焦点が集まり、強調してしまうことに

不安は危険を回避しようと一生懸命

ただただ反応を起こして自分を守ろうと働いてくれているだけ

 

不安があるということは、チャレンジしようとしている証拠でもある

自分の器(できる領域)をこれから広げようとしている

あなたの中には、不安を感じているあなただけでなく

勇気のあるもう一人のあなたも同時に存在しています。

 

最後までお読みいただきありがとうございました。