自分を守ろうとする自分

 

今抱えている仕事、なかなか前に進まない

仕事部屋から脱出して気分を変えて近くのカフェへ

ちょっとは考えられたけれどまだ堂々巡り中

 

今日は思い切って車で片道40分ぐらいかけたカフェへ

アイディアをひらめくには思い切るのも良いかと

以前行った時に、とっても居心地が良くて長居もできたから・・・

 

しかし、今は夏休みということもあってか

行列していて断念 💦

もともと、行ったとしても考えがまとまるかどうかはわからない

期待せずに行こう!と決めていたので、現状の受け入れはOK

 

そして、あることに👀気づきました。

私の意識の部分では仕事をやる気満々だと思っていた。

時間をかけて環境変えてでも取り組もう!!としていたのだ。確かに。

 

でもね・・・気づかない無意識の部分では

難解なその仕事に向かいたくないから必死に逸らさせようとしていた

だから、近くではなくて時間のかかる遠くが都合良かったし

しかも混雑していて断念。実は喜んでいた?

 

気づいていなかったもう一人の自分が望んでいた結果

苦しさから自分を守ろうとしていた(自己防衛機能)のだなと思うと

私の自己防衛機能はスゴイ!と思うと同時に笑えてきました。

 

最後までお読みいただきありがとうございました。

 

 

 

 

相手にも自分にも選択権がある

 

部下やメンバーを注意する時、ためらう気持ちになりませんか?

まずは「伝えてもいい、伝えなくてもいい」という選択権が自分側にあります。

 

「伝えない」を選んだ時は・・・

伝えない楽さはありますが、それで相手が変わらなくてもグチれませんね(笑)

 

「伝える」を選んだ時は・・・

あなたが自由に選択したのと同じに

相手にも「受け取る、受け取らない」という選択権がある。

 

相手の反応まではコントロールできません

受け取ってもらえるかもしれない(その時はラッキー)

受け取ってもらえないかもしれない

受け取れない状況にあるかもしれない

その時受け取られなくても、後々気づいて変化する場合もある

 

相手が変化する結果までを求めるとなかなか伝えられない

受け取られなかった時の自分を無意識的にイメージしている

それは体験したくないから・・・

 

自分にできることは、ただ言葉を選んで想いをちゃんと伝えること

その先は相手の管轄だと思えば、少しだけ気持ち楽に伝えられませんか?

1度でダメなら、また次、それでもだめなら別な手段で・・・ね! (^_-)-☆

 

最後までお読みいただきありがとうございました。

 

 

 

本当に聴くって?

 

小さな子供もあかちゃんも、日本語がまだうまく話せないけれど

代わりに泣いて知らせようとする技をもっている

生れた時から「わかってほしい」という本能的な欲求をもっている

それは大人になってもひそかに持ち続けているから

 

嬉しかったことも、楽しかったことも伝えたくなるし

悲しかったことも、怒っていることも

大変だったことも、頑張ったこともわかってほしい

話せてしっかり「わかったよ」と受け取ってもらえると

安心できてまた次に踏み出していける

 

小さな子供に尋ねるように

「どうしたの?」「何があったの?」

先入観なくただ尋ねる

相手のことをただ純粋に知ろうと聴く

 

「そうだったんだね。わかったよ。」と受け止める

「それで、どうしたいの?」と尋ねる。

相手の答えがただそこにあって、それをありのままにみる

自分のジャッジはそこにはない

その時に、深い意識状態での気づきや答えにたどり着いている

 

本当に聴くって奥が深い

 

最後までお読みいただきありがとうございました。

 

 

 

叱る勇気

 

部下やメンバーを叱ったり、注意したりするのは

誰しも決断が必要だったり、勇気がいったりします。(私もです💦)

なかなか叱れないという場合、何がストッパーになっているのでしょうか?

 

叱る(注意をする)とどうなると思い込んでいるのでしょう?

「相手に嫌われる」、「相手を傷つける」、他にもあるかもしれません。

 

これらの思いの裏側には

「相手に嫌われることから自分を守りたい」

「相手を傷つけることによって傷つく自分を避けたい」

という自己防衛が働いています。

 

しかし、このように感じてしまう自分がダメなのではなく

こうやって自己防衛機能が働いて危険から自分を守ってくれている

 

その上で、これまでの体験をふり返ってみると・・・

叱る = 嫌われる  は100%そうではないことが判明しませんか?

 

怖かったけど好きだった指導者の存在

よく叱られたけど、それによって成長できたと思える上司の存在

ダメな時にはちゃんと叱って指導する姿勢に信頼を寄せるメンバーもいること

 

仮にその時はショックがあったとしても

後で冷静になって考えると(時には1年後~10年後などの時もありますが)

あの体験があって今の自分があるという感謝の気持ち

 

存在承認というのがあります

相手の存在そのものを認めて大切にしている状態

もし、その状態の自分で叱ったとしたら・・・?

 

本当に必要だと感じた時には、

ちょっとだけ、自分を守っている壁を自ら下げてみませんか?

 

最後までお読みいただきありがとうございます。

 

 

 

完璧主義

 

「完璧主義」という言葉から描くイメージにはどんなものがありますか?

頑張り屋さん

けれど、人一倍頑張り過ぎて疲れてしまう

こだわり

自分にも誰かにも、つい厳しくなってしまう

まだまだ自分なんて・・・と思う

それが苦しみやストレスをつくることがある

私にもあるあるです。

 

ですが、いつもどんな時にも「完璧主義」かというとそうではない

よ~く振り返ってみましょう

完璧主義の時もあるけど、全く真逆のゆる~い時も確かにある

つまり、「私 = 完璧主義」、「あなた = 完璧主義」なのではない

完璧な考え方や行動をとろうとする時があるだけ

 

そして、

完璧主義を全く手放そうとすると・・・発見

「それでは仕事の質があげられなくなるのではないか」という不安

「いい加減な自分になってしまうのでは?」という恐怖

「完璧主義の部分があったからこそ、頑張ってきて今の自分がある」という愛着

 

完璧主義は時に嫌だけど、同時にとても大切なものなのです。

 

最後までお読みいただきありがとうございました。

 

 

 

「遊びごころ」

 

私の好きな言葉の一つに「遊びごころ」があります。

 

仕事で「遊びごころ」をちょこっと入れたくなる

その時々で違いますが、

ワークだったり、環境やグッズだったり、資料やテキストだったりに・・・

ほんの「ちょこっと」ね

 

そうすると、プログラムを考える時から楽しくなる

「皆がどんな反応をするのかな~?」と受講生の方に意識が向く

もちろん、私の期待どおりの反応があるとは限りません

その時の私の様子を想像すると、それも笑えます(苦笑いですが)

 

「遊びごころ」は「自分らしく」にもつながっている

 

Q)あなたの中にある「遊びごころ」を活かすとしたら・・・

何をどんなふうにやりますか?

 

最後までお読みいただきありがとうございました。

 

 

頑張りすぎているあなたへ

 

少々頑張り過ぎていませんか?

 

そんなに抱えて頑張り過ぎてると

身体が緊張し、かたくなって、呼吸も浅くなってしまいます。

もしかしたら、あなたにとっては

少し怠けるぐらいの方がちょうど良いのかもしれません。

 

少し力をぬいて深呼吸

 

時には、自然とふれあってみたり・・・

 

時には、こんな感じてお昼寝・・・

仕事の時は、昼休憩に10分でも15分でも机で伏せて目を閉じるだけでも

 

思い切ってやめてみることは何ですか?

このぐらいできていたらOKにしようとあきらめることはありませんか?

ちゃちゃっと簡単にしてしまえることは?

「私にはできません。」と辞退することはありませんか?

 

少しはずしてみる。

高い理想(基準)を下げてみる

そうすると・・・気持ちが楽になりフットワークが軽くなる。

その時、本来のあなたの力が発揮できます。

 

最後までお読みいただきありがとうございます。

 

 

 

不安や恐怖がある時

 

たとえば仕事でプレゼンをすることになった

研修をすることになった

自分にとっては大役だと思われる担当、係り、委員、リーダーを任された

 

そういう時には少なからず不安や恐怖がやってくる

 

不安や恐怖は、ポジティブよりはネガティブなイメージをつい引き起こすので

苦しくなったり緊張したり

快か不快といえば不快に感じてしまう

逃げ出したくもなる

「何で自分が・・・?」「他にも出来る人いるでしょう?」

心の中でつぶやいている

 

でもね、全く違う角度からとらえると違う視点もでてくる

やってきた不安や恐怖をなかったことにするのではなく

麻痺させて感じないようにするのでもなく

やってきた不安や恐怖を「やってきたな~」と共にいてみる

それが少しでもできると、頑丈さがちょこっと自分の中に育つ

避けずに乗り越えると、もっと頑丈さが自分の中に育つ

 

すると・・・

かつて感じていたレベルの不安や恐怖は和らいでいる

自分の器がちょっとだけ大きくなっている

その時に、メンタルがタフになっているのではないでしょうか?

 

じゃあ、それでもう二度と不安や恐怖を感じなくなるかというと

そんなこともなく、また別なものはやってくる

時には逃げたりもしながら(それもまた必要なこと)

またちょこっと共にいてみる・・・頑張って乗り越える・・・

 

そのプロセスで、

自分の器がちょっとずつ、またちょっとずつ大きくなっていく

メンタルがタフになっていく

 

最後までお読みいただきありがとうございました。

 

 

 

思い切って変えてみる

 

今日から6月

梅雨入りの発表も近いのかもしれません。

 

ジメジメだったり、雨で外出がおっくうだったり

湿度が高くて髪の毛がまとまりにくいとか(笑)

梅雨から連想するイメージから気持ちや感覚がつくられます。

 

写真のてるてるぼうずのように、(気持ち良さそうに梅雨を楽しんでいる)

がらりとイメージを切り替えるとどうでしょう!?

そこから連想するイメージが変わり

そうすると気持ちや感覚も変わってきませんか?

イメージって影響大!

意図的にイメージをきりかえてみたらどうなるでしょうか?

 

いつもブログを書く時

(あくまでも私のこれまでのやり方ではということですが)

内容を先に書いて、それから写真を決めて入れていました。

 

今日は何を書くか、なかなか思い浮かばなかったので

思い切って順番を変えてみました!!

先にピントくる写真を決めて、それから文章を書き出してみました。

これもありだなと、あらたな発見

 

仕事においても・・・

今、考えている流れがあるのですが

思い切って変えてみるのも一つかな

それにはちょっとした勇気と決断が必要です。

 

あなたは、今、思い切って変えてみたい事ありますか?

 

さあ、やるかやらないか・・・?

それはあなたの自由です。

本当はどうしたいのか自分に問いかけてみましょう。

 

 

 

せっかち君とおっとりさん

 

せっかち君とおっとりさんは誰か他の人のことではなく

自分の中にいます

 

どちらかだけの人間なのではなく、両方の自分を行ったり来たり

じっくり自分を振り返ると、確かに両方の時がある

 

せっかち君には持ち味があって

スピーディーに事が進むし行動的、決断力もあります。

しかし、せっかち君に偏りすぎると

まわりにいるおっとりさんが気になる、待てない、イライラ(笑)

自分の中のおっとりさんの存在のことを忘れてる

 

一方、おっとりさんにも持ち味があり

穏やかでじっくりゆっくり考えることができ、慎重に進めることができる

しかし、おっとりさんに偏り過ぎると

他者に迷惑をかけていることにうとくなる

物事が進みにくくなる、時間や約束にルーズになる

まわりにいるせっかち君にイラッ!!

自分の中のせっかち君の存在を忘れてる

 

両方自分なのにね(笑)

 

もし、せっかち君とおっとりさんを

自分で場面に応じて登場させることができたら・・・?

 

まずは、どちらも自分だってことを

心にとめておくことが必要かもしれませんね。👀

 

最後までお読みいただきありがとうございました。