「悔しい~」をちゃんと体験する

 

私はコーチで、クライアントの方へコーチングをさせていただきますが、

私はクライアントでもあり、コーチから定期的にコーチングを受けます。

そして、これは私のクライアント体験です。

 

その日・・・あるテーマについて話していました。

出来事や気になる人は「自分の反映だな~」とうすうすわかっていた。

けれど、コーチとのやり取りの中で

「うすうすわかっていた」ところから、

「本当に認める」ところにシフトしようとした時・・・

 

“悔しさ” がブワ~ッとあふれ出てきました。

けっこうな量、けっこうな勢いで(笑)

しばらくの間 “ 悔しさ ” と共にいました。

なぜそこまで悔しいのか・・・?

しかも、不快な感覚ではなく、どこか新鮮ですがすがしい感覚

エッ? 何? キョトンとした私

 

その時、気づきました!!

私はこれまで “悔しい” をあまり体験してこなかったことに・・・

 

例えば、自分が望んだ結果にならなくても

「きっとこの残念な結果を体験することが自分に必要だったんだ」とか

「相手の人の立場に立つと・・・」と<一見>ものわかりの良い大人な捉え方に

・・・良くも悪くも・・・ですね。

人や出来事の良いところにシフトしてしまう癖があって

これまで、悔しさをちゃんと体験してこなかったのです。

 

温厚な人、分別のある人、コーチたるもの・・・という理想像

また、人に嫌われたくないという価値観もあるぞ・・・

“悔しさ” を封印

そうして、自分の安全・安心を守ろうとしてきたのではないかと思います。

 

けれど、どうかな?

“悔しさ” をちゃんと感じることと

“悔しいから人や物にあたる” のとは違いますよね

 

“悔しさ” を無意識的に抑圧するのではなく、

ちゃんと「ある」と存在を認めてあげよう

排除するのではなく、ちゃんと意識下においてあげることで、消化活動が進む

その上で、どのように接したり行動をしたら良いかを考えて行動

それが出来た時に、その出来事は終わっていく

 

最後までお読みいただき、ありがとうございました。