もう少ししたら研修に出発!・・・って時に

 

あと3時間で研修に出発!・・・という時に

偶然出会ったある方が、「ねえ、聞いてよ」と話しかけてきました。

「もうムリ~今日は本当にいろんなことがあって・・・散々だった~。」

ネガティブな感情と共にすごく話を聴いてほしそうなのがわかりました。

 

「さあ、私、どうする?」

瞬間的にこの問いが立ち上がり、私の中のコンピューターが作動

 

研修時間にギリギリだったらまだ簡単な選択だったのかも?

3時間という時間がある意味微妙だったからこそ迷いました。

 

困っている人を助けたい

人に親切にしたい

相手を大切にしてちゃんと人の話を聴きたい

そこには純粋な想いと、「ねばならない」という価値観が同時にある

 

しかし、研修先の受講生の方の立場に立つと

ここで話を聴くことは準備時間のロスになる

ネガティブな感情を引き受けることで研修までに自分を立て直せるのか?

エネルギーを高く保つ、とっておく必要があるのです。

話を聴くことは、受講生の方を大切にできないことになる

 

その時私がとった行動は・・・

 

「ごめんなさい、今研修前で話を聴くことができない」

お断りをする方の選択でした。

その代わり、研修後たっぷりじっくり話を聞こう!!

そして、研修が終わってから会いました。

 

私の選択が本当に正しかったかどうかわかりませんが、

私がかけつけたことに対して、驚いてとても喜んでくださいました。

あの時の強いネガティブな感情も時間の経過とともに薄れて冷静になっていて

「たいしたことじゃなかった」と・・・

本当にケロリと言うので2人で大笑いしました。

 

相談された時にすぐに話が聞けない時がある

時間を気にして傾聴はできない

「後にして!」と遮断しても後悔が残るでしょう。

 

この出来事を振り返った時に、

もう少しこのように伝えればより良かったな~と振り返る自分がいる

もう少し(さらに)相手を大切にした私だったら?と思う自分がいる

 

「今は・・・(理由)で話を聴けないけど、終わったらじっくり聴くよ」

相手を大切にしてメッセージを伝えることが今よりさらにできたら

今以上に安心感を提供してさしあげることが出来ると思いました。

 

あまりにも、相手の方の雰囲気がガラリと変わっていたので???

まるで私がどう対応するかの進級テストを先生から出されたかのよう(笑)

自分への振り返りをまた次に活かしていこうと思います。

 

最後までお読みいただきありがとうございました。

 

 

 

答えはもっている

 

質問を投げかけることにより、相手の人に空白を提供することができる

すると・・・

焦点がそれまでの思考から問いの内容に切り替わる

 

人間の脳は空白がある状態を嫌います。

わからないという状態は恐怖だし不快だから

答えを知って早く安心したい、すっきりしたい

だから、できた空白を何とかして埋めようと働き出すのですね。

「人間がもともともっているすごいチカラ」

 

ここで大切なのは、相手の中に答えが「ある」ということが

本当にはどれだけ信じられているか

答えがないところからは答えはでない

答えをその人が「もっている」から出てくるのですね。

 

自分自身に対しても同じ(セルフコーチング)

今日、あらためてそう感じました。

 

ブログで何を書こうかな~

何も出てこない・・・

ウ~ン・・・時間だけが過ぎてゆく

出てこない、出てこない・・・と煮詰まっていました(笑)

その時、はっ!とする気づき

自分の中に答えがあることを、今、信じれていなかった

あらためて「自分の中に答えがある!」という位置に立って考えてみる

 

すると・・・

あ、そうか! このことをそのまま書いてみよう!

本当に答えをもっているのですね。

 

自分も相手も答えをもっている

ただ、答えが出てくるのには時差があるのです。

すぐその場の時もあるし、後からのときもある。忘れた頃のこともある。

 

すぐに答えが出たらラッキー

けれど、すぐに答えが出ない問いは、それはそれですごく価値があるのです。

 

最後までお読みいただきありがとうございます。

 

 

 

完璧主義

 

完璧主義の人は自分に厳しくなるかもしれません

このくらいじゃダメ! もっとやらなくては・・・

他者をみても厳しくなるかもしれません

相手のために配慮して、実際にその人に厳しく当たらなかったとしても

その分、抑え込んだ気持ちを持ち歩くことになりますね。

 

私は自分のことを完璧主義だと思っていました。

今もかもしれないけれど・・・(笑)

ある時、私はどうして完璧主義になったのだろう?

その問いをほりさげていった時に気づいたことがあります。

 

私 = 完璧主義 (私は完璧主義だ) と思っていましたが

私 ≠ 完璧主義 (=イコールなのではない)と気づきました。

私には完璧主義な部分(面)がある

 

よくよく考えると、私にはルーズな部分もあります。

大ざっぱな部分もあります。

怠け者の部分もあります。

いい加減な部分もあります。

何かの出来事や体験がきっかけになり

自分が自分に完璧主義だというイメージを貼りつけ、勝手に信じていました。

そのことに気づいたら笑えました。力が抜けました。

私は完璧主義な一面があるけど、完璧主義人間ではない

 

完璧主義は、あなたが自分に張り付けたレッテルではありませんか?

 

一方で、

完璧主義があるからこそ、質を高めることができる

努力しようとする

完璧主義も大切な素質ですね。

どうぞ、大切になさってください。

 

最後までお読みいただきありがとうございました。

 

 

 

淡々とやり始めてみる

 

意気込んでやると、思ったように進まないことはありませんか?

 

モチベーションが高くてやる気をもって取りかかることも有効な時もありますが

そういう時は理想や期待も一緒に高くなってしまいます。

後で「そこまではできなかった」と感じることにも・・・

 

意気込むことなく、淡々とスタートをきる

そういう時の方が結果的に集中できています。

「意外にはかどった」と感じます。

 

少しおっくうなことに向かう時も、張り切った気持ちの時も

淡々とスタートをきってみる

あなたはにとっては、どんな体験になるのでしょう?

 

最後までお読みいただきありがとうございました。

 

 

 

来年の目標は既にスタートしている

 

1月に目標設定する人、4月に目標設定する人、

その他のタイミングの人、立てない人(立てない方が良いという考えの人)

仕事では立てるけどプライベートは立てない人など・・・

職種や状況、考え方によりいろいろな方がいらっしゃると思います。

 

あくまでも私の場合は・・・ですが、

目標設定は1月のスタートの時期です。

今年は目標を言葉に表現したのは1月1日でした。

(やっていく中での修正はありますが)

 

「言葉に表現したのは」という言い方をしたのは

今年の目標をこつこつ一つ一つやりながら、いつ頃からか

「来年はどう(何)しよう?」

「どう(何)したいのかな?」

これらの問いと共に進んできたように思います。

 

目標は文字に表現するもっと前から始まっているのだな~と思います。

 

皆さんの中で、目標を立てて進んでいこうと思っている方は

1月になった時に「今年どうしよう?」と考えるのもありですが

今から「来年は自分はどうしたいのかな?」という問いをもつのもありですョ。

 

あなたは、どう進んでみたいですか?

 

最後までお読みいただきありがとうございました。

 

 

 

「不安しかない」時・・・

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「今は不安しかない」

このような時、人はどのような反応を起こしているのでしょうか?

無意識的にやってしまうことを、意識下に取り出してみると

「この状態はだめ」、「この自分は嫌い」とまずジャッジ

否定して何とか排除しようと一生懸命になります。

ポジティブなことを考えようとしたり、気を紛らわす行動をとったり

 

もし、全く真逆の考え方が世界的な常識となっていたら・・・?

つまり、不安こそが宝物で価値があるということが誰もの常識だったら

不安を必死で排除しようとするのを止めるでしょう。

不安に抵抗しなくなったその時・・・結果的に不安がやわらいでいる

 

不安を否定して排除しようとすればするほど

よけいに不安に焦点が集まり、強調してしまうことに

不安は危険を回避しようと一生懸命

ただただ反応を起こして自分を守ろうと働いてくれているだけ

 

不安があるということは、チャレンジしようとしている証拠でもある

自分の器(できる領域)をこれから広げようとしている

あなたの中には、不安を感じているあなただけでなく

勇気のあるもう一人のあなたも同時に存在しています。

 

最後までお読みいただきありがとうございました。

 

 

 

理解のレベルを深める

 

ディズニーランドに行った事がなく、テレビでも見たことのない人が

ディズニーランドの話を聞いた時の理解

 

ディズニーランドに行った事はないけれど、テレビで映像を見たことがある人が

同じ人から同じ言葉でディズニーランドの話を聞いた時の理解

 

ディズニーランドに実際に行った事のある人が

同じ人から同じ言葉でディズニーランドの話を聞いた時の理解

 

3人の理解は全く違ったレベルになるでしょう。

 

別の例で表現してみると・・・

浅いレベルの理解  「●●は大切なんだな。わかったぞ」

頭(言語)での理解

中レベルの理解   「そうか、こういうふうに大切なんだな」

体験が交じった理解

深いレベルの理解  「ハッ!(気づき)本当に●●は大切だな~」

インパクトがある体験による身体感覚での理解(腑に落ちる感覚)

 

体験の中には嬉しい体験もあるけれど

ショックな体験もある

けれど、やってみる(体験する)ってとても大切なように私は思います。

 

まだやったことがないことに挑戦しようとする前や

チャレンジに躊躇する時

緊張するし・・・恐怖を感じるし・・・自信がないと感じる・・・

失敗したらどうしようとも思う・・・

私のことです(笑)

 

断ることもちゃんと選択肢として残した上で、

体験することの価値を今一度振り返り

あらためて自分の意思で選択しよう・・・

10年先に後悔しないのはどのような選択だろう?

 

最後までお読みいただきありがとうございました。

 

 

 

意見が一つにまとまらない時って・・・?

 

メンバー間で何かを決める時や会議で何かを決定する時

いつもすんなりまとまっていくと良いのだけれど・・・

意見がそれぞれ違ったり、多数派と少数派、5対5で分かれたり

逆に、どれも良さそうで、或いはどれも一長一短があって

まとまらないこともありますよね。

 

すんなり決まらないことは、出来たら避けたい、時間の無駄

けれど、本当にそれだけでなのでしょうか?

 

先日、あるグループミーティングで話し合いをする機会がありました。

意見を一つにまとめなくてはならなかった。

 

(第1段階)

メンバー一人一人の考えを聞くと、それぞれの違いから視野が広がりました。

自分にはない視点やアイディアがあり、発見がありました。(ほぅ~なるほど)

しかし、そこから一つにまとめる作業の中で意見がまとまらない(どうしよう)

 

(第2段階)

さらにそこから話し合いを重ねました。

すると、それまで出ていなかった新たな意見が出てきました。

それによって、4対1と意見が2つにまとまると同時にわれました。

その時にふと思ったのは、

4の方が正解(良い答え)とも限らない、1の方が間違いとも限らない

また、1の人が弱い立場にあるということを理解してかかわろう!ということ

1の反対意見の人の意見をジャッジせずにもう一度皆で聴きました。

それでも4対1で平行線(困ったな・・・時間も気になる)

 

(第3段階)

とても詰まった感触があったので、一度リセット

皆で一旦白紙にもどし、もう一度各自が1分間で考え、再度発表に・・・

その結果

新たな考えが出てきて

グループの意見が一つになりました。

 

意見がなかなかまとまらなかったからこそ、

一つにまとまった時に大きな達成感がありました。

そのプロセスの中でいろいろ学ぶことができました。

 

何の目的で(何のために)話し合うのかを共有できていることは大切

その土壌を最初にしっかり共有しておけば、皆で乗り越えることができる

 

話し合いがすんなり決まることも必要ですが

すんなり決まらないこともまた、必要な出来事でした。

 

すんなりいかない話し合いの時、その中であなたは何を学ぼうとしていますか?

 

最後までお読みいただきありがとうございます。

 

 

 

自分が体験して深く理解していることは他者にもプレゼントできる

 

コーチング塾基礎コース第3回目

部下やメンバーのやる気を引き出す「認めるチカラ」を開催しました。

 

日頃使う褒め言葉や認める言葉は

自分のレパートリーという箱の中からチョイスしている

今日は、「レパートリーの箱を大きくする(レパートリーを増やす)」ために

様々な角度から承認を学び体験し、参加者の皆さんで共有しました。

 

もう一つやりたかったこと・・・

本当に認められるとはどういうことなのか?

承認の効果を深く体験すること

本で読んでも、人から説明を受けても承認は学べますが

承認される体験をととおしてでないと理解できないことがある

 

例えば・・・

砂糖をこれまで舐めたことがない人が砂糖の説明を受けて理解できることと

砂糖を実際に舐めて理解できること(腑に落ちる理解)は大きく違う

また、自分が砂糖を舐めたことがなければ

誰かに説明できないし、説明したとしても伝わりにくいでしょう

 

自分の知らないことは他者に与えることはできないけれど

自分が体験して深く理解できていることは

他者にもプレゼントできるのです

 

最後までお読みいただきありがとうございます。

 

 

 

「何かあったら声かけてね」の問いかけを変えると・・・?

 

「何かあったら声をかけてね。」

「何かあったら言ってね。」

 

訪問介護施設の責任者の方と話をしていて、

業務の中でよく言っているな~という話になりました。

言われる側に立ってみると、抽象的

 

「このぐらいなら、まっいいか」

「このぐらいは言っておこう」

この境界線(判断基準)は人によってまちまちです。

忙しい時、面倒くさい時、それほど部下にとっては重要視してない時は

「まっいいか」に流されやすいもの

 

すると、

「もっと早く言ってくるべき」

「報告が遅い」

ということに・・・

日頃から境界線を明確にし、共有しておくことは必要です。

 

また、こちらが具体的に尋ねることで

相手は何を答えたら良いのかがわかりやすくなり、必要な情報が得られます。

「今日、状態に変化のあった人はいましたか?」

「今日は○○さんの点滴はすぐに入りましたか?」

 

さらに、

「今日、学んだことは何?」

このように問いかけることで

うまくいったこともうまくいかなかったことも学びにできます

 

「今日、うれしかったことは何?どんなことでも教えて」

このように問いかければ

仕事の中での達成感や喜びが引き出せます

スタッフ間の感謝を引き出すことになれば関係づくりに役立ちます

 

このような問いかけを日常の中で繰り返すことで

スタッフの焦点が学びや喜びや感謝にフォーカスされます

人は自分が意識的にも無意識的にもフォーカスしている情報を集めるんだよな~

 

最後までお読みいただきありがとうございました。