シーソーゲーム

 

Aにしようか・・・それともBにしようか・・・迷うことがあります。

すぐ決めれる内容の時もあれば

その選択が自分の人生にとって大切な選択であればあるほど

時には、長い間シーソーゲームのように迷うこともあります。

 

どちらを選んでも五分五分だから迷う

決められないということは、実はどちらでも良いからなのです。(笑)

8対2ならそんなに迷うこともありませんよね。

 

しかし、人生のどこかでは

どちらでも良いとわかっていても、決められない時があるのです。

いろいろな視点で考えてみても

メリット、デメリット両方書き出してみても

そういう時は苦しく感じるかもしれません。

 

時として、Aと決断したつもりでいても、

しばらく時間や期間が経過するとやっぱりBだなと決断します。

しかし、またゆらぐ

A側に立っている時は、もっともらしくAを選択する理由や出来事がやってくる

B側に立っている時は、もっともらしくBを選択する理由や出来事がやってくる

やっかいです💦

 

しかし、そのシーソーゲームは苦しいんだけれど

行ったり来たりするシーソーゲームを繰り返すこと自体にも意味がある

行ったり来たりすることが悪いことでもないのです。

 

だから・・・

もし、今後ものすごく迷うシーソーゲームにはまる時が来たときは

たっぷり悩みましょう。考えましょう。

もうこのくらいでいいか・・・と行き着くまで

シーソーしてみるのも一つです。

そうするといつか決まる時がやってくる

そんな流れがやってくる

 

最後までお読みいただきありがとうございます。

 

 

 

皆を活かすってどういうこと?自分を活かすってどういうこと?

 

~皆を活かす・自分を活かす~

「4つのタイプ別アプローチ」

介護施設で7月に実施した研修。

今回は同じ施設で第2弾<実践編>でした。

 

皆を活かすってどういうこと?

自分を活かすってどういうこと?

そんな空白を持ちながら・・・

打ち合わせで担当者の方と決めたテーマについてグループワーク

 

やってみないとどうなるかわからない緊張感はありましたが

最初の場づくりを大切にしよう!と思いました。

 

まずは各自で・・・

ものすごい集中力でアイディアや考えを付箋に書いていらっしゃいます。

本当に皆さんの中に答えはある、力があるんですね~

 

その後のグループワーク

笑顔があります。活気があります。さらに付せんが増えます。

整理されていきます。

 

最後はグループごとに発表

司会も書記も決まっていなくでも大丈夫

発表者も自然に皆さんの中から決まっていく

 

まさに、「皆を活かすには?」「自分を活かすには?」の空白を

皆さん自身が埋めていってくださいました。

心配は不要

皆さんの力を信じてやれば良かったのですね。

 

最後までお読みいただきありがとうございました。

 

 

 

部下や後輩の力を信じる

 

部下や後輩への指導場面でティーチングは必要ですが

特に人を育てることにおいては、

コーチングで質問して引き出す力があるとさらに効果的です。

 

コーチングで大切にしている考え方に

「その人の中に答えがある」というのがあります。

 

その人に「力がない」から力をつけさせようと思ってアプローチするのか

コーチングの「力を持っている」だから引き出そうとするのか

両者の土台は大きく違います。

 

例えば新人職員のAさん・・・当然、経験や知識はまだ少ない

だから「力がない存在」ととるのではなく

 

経験や知識が少ない開発途上であっても、本来力はもっている

だったら、たくさん経験や知識を身につけれるようサポートをすれば・・・

そして、経験したこと、うまくいったこともうまくいかなかったことも

学びに転換するお手伝いができれば・・・

そうすれば、力が発揮していけるでしょう

 

不安があって力が発揮できていないなら、

その不安を緩和させるお手伝いをすることで力が発揮していけるでしょう

 

思い込みや、~ねばならない、~べき、にとらわれて動けないのなら

その思い込みに気づかせてあげることで力が発揮していけるかもしれません

 

片寄った視野、狭い視野なのであれば

違う視点を見せてあげれば力が発揮していける可能性があります

 

・・・・などなどアプローチの幅が広がりますね。

 

昨日の施設での研修タイトル

~相手と共に自分も育つ~

「人を育てるコーチング」

 

人を育てるということはそんなに簡単なことではないでしょう

指導する側もいろいろアプローチを考え

悩んだりすることもあるかもしれません。

だからこそ、アプローチする過程で相手だけでなく自分も育つということも

う~ん納得です。

 

長期的にみればとても重要なこと。

価値あることだと私は思います。

 

私自身も開発途上なのだ~

 

最後までお読みいただきありがとうございます。

 

 

 

自分を守ろうとする自分

 

今抱えている仕事、なかなか前に進まない

仕事部屋から脱出して気分を変えて近くのカフェへ

ちょっとは考えられたけれどまだ堂々巡り中

 

今日は思い切って車で片道40分ぐらいかけたカフェへ

アイディアをひらめくには思い切るのも良いかと

以前行った時に、とっても居心地が良くて長居もできたから・・・

 

しかし、今は夏休みということもあってか

行列していて断念 💦

もともと、行ったとしても考えがまとまるかどうかはわからない

期待せずに行こう!と決めていたので、現状の受け入れはOK

 

そして、あることに👀気づきました。

私の意識の部分では仕事をやる気満々だと思っていた。

時間をかけて環境変えてでも取り組もう!!としていたのだ。確かに。

 

でもね・・・気づかない無意識の部分では

難解なその仕事に向かいたくないから必死に逸らさせようとしていた

だから、近くではなくて時間のかかる遠くが都合良かったし

しかも混雑していて断念。実は喜んでいた?

 

気づいていなかったもう一人の自分が望んでいた結果

苦しさから自分を守ろうとしていた(自己防衛機能)のだなと思うと

私の自己防衛機能はスゴイ!と思うと同時に笑えてきました。

 

最後までお読みいただきありがとうございました。

 

 

 

 

相手にも自分にも選択権がある

 

部下やメンバーを注意する時、ためらう気持ちになりませんか?

まずは「伝えてもいい、伝えなくてもいい」という選択権が自分側にあります。

 

「伝えない」を選んだ時は・・・

伝えない楽さはありますが、それで相手が変わらなくてもグチれませんね(笑)

 

「伝える」を選んだ時は・・・

あなたが自由に選択したのと同じに

相手にも「受け取る、受け取らない」という選択権がある。

 

相手の反応まではコントロールできません

受け取ってもらえるかもしれない(その時はラッキー)

受け取ってもらえないかもしれない

受け取れない状況にあるかもしれない

その時受け取られなくても、後々気づいて変化する場合もある

 

相手が変化する結果までを求めるとなかなか伝えられない

受け取られなかった時の自分を無意識的にイメージしている

それは体験したくないから・・・

 

自分にできることは、ただ言葉を選んで想いをちゃんと伝えること

その先は相手の管轄だと思えば、少しだけ気持ち楽に伝えられませんか?

1度でダメなら、また次、それでもだめなら別な手段で・・・ね! (^_-)-☆

 

最後までお読みいただきありがとうございました。

 

 

 

本当に聴くって?

 

小さな子供もあかちゃんも、日本語がまだうまく話せないけれど

代わりに泣いて知らせようとする技をもっている

生れた時から「わかってほしい」という本能的な欲求をもっている

それは大人になってもひそかに持ち続けているから

 

嬉しかったことも、楽しかったことも伝えたくなるし

悲しかったことも、怒っていることも

大変だったことも、頑張ったこともわかってほしい

話せてしっかり「わかったよ」と受け取ってもらえると

安心できてまた次に踏み出していける

 

小さな子供に尋ねるように

「どうしたの?」「何があったの?」

先入観なくただ尋ねる

相手のことをただ純粋に知ろうと聴く

 

「そうだったんだね。わかったよ。」と受け止める

「それで、どうしたいの?」と尋ねる。

相手の答えがただそこにあって、それをありのままにみる

自分のジャッジはそこにはない

その時に、深い意識状態での気づきや答えにたどり着いている

 

本当に聴くって奥が深い

 

最後までお読みいただきありがとうございました。

 

 

 

叱る勇気

 

部下やメンバーを叱ったり、注意したりするのは

誰しも決断が必要だったり、勇気がいったりします。(私もです💦)

なかなか叱れないという場合、何がストッパーになっているのでしょうか?

 

叱る(注意をする)とどうなると思い込んでいるのでしょう?

「相手に嫌われる」、「相手を傷つける」、他にもあるかもしれません。

 

これらの思いの裏側には

「相手に嫌われることから自分を守りたい」

「相手を傷つけることによって傷つく自分を避けたい」

という自己防衛が働いています。

 

しかし、このように感じてしまう自分がダメなのではなく

こうやって自己防衛機能が働いて危険から自分を守ってくれている

 

その上で、これまでの体験をふり返ってみると・・・

叱る = 嫌われる  は100%そうではないことが判明しませんか?

 

怖かったけど好きだった指導者の存在

よく叱られたけど、それによって成長できたと思える上司の存在

ダメな時にはちゃんと叱って指導する姿勢に信頼を寄せるメンバーもいること

 

仮にその時はショックがあったとしても

後で冷静になって考えると(時には1年後~10年後などの時もありますが)

あの体験があって今の自分があるという感謝の気持ち

 

存在承認というのがあります

相手の存在そのものを認めて大切にしている状態

もし、その状態の自分で叱ったとしたら・・・?

 

本当に必要だと感じた時には、

ちょっとだけ、自分を守っている壁を自ら下げてみませんか?

 

最後までお読みいただきありがとうございます。

 

 

 

完璧主義

 

「完璧主義」という言葉から描くイメージにはどんなものがありますか?

頑張り屋さん

けれど、人一倍頑張り過ぎて疲れてしまう

こだわり

自分にも誰かにも、つい厳しくなってしまう

まだまだ自分なんて・・・と思う

それが苦しみやストレスをつくることがある

私にもあるあるです。

 

ですが、いつもどんな時にも「完璧主義」かというとそうではない

よ~く振り返ってみましょう

完璧主義の時もあるけど、全く真逆のゆる~い時も確かにある

つまり、「私 = 完璧主義」、「あなた = 完璧主義」なのではない

完璧な考え方や行動をとろうとする時があるだけ

 

そして、

完璧主義を全く手放そうとすると・・・発見

「それでは仕事の質があげられなくなるのではないか」という不安

「いい加減な自分になってしまうのでは?」という恐怖

「完璧主義の部分があったからこそ、頑張ってきて今の自分がある」という愛着

 

完璧主義は時に嫌だけど、同時にとても大切なものなのです。

 

最後までお読みいただきありがとうございました。

 

 

 

ほっこり

 

研修のため、島根県内介護施設へ

向かう電車で、運転手さんと車掌さん以外に

ヘルメットと作業服を着た職員の方が2人同乗

ずっと前を凝視。線路周辺に異常がないかをチェックされていました。

 

先日の雨でまだ運行中止になっている区間がある状況

天気が回復後にも土砂崩れが起きた現場もある状況

 

1両目に乗らなかったら気づくこともなかったでしょうが・・・

こんなふうに、お世話になって安全と安心を守っていただいているのだと

しみじみ感謝の気持ちが広がり、ほっこりしました。

 

研修では、参加者の皆さんから最後に一言ずついただきました。

~学んで、今感じていること~

「今まで○○の視点はなかった」「勉強になった」「印象に残ったのは・・・」

「さっそく活かしていきたい」などなど。

 

さらに

「このように感じていて、こんなふうに皆に感謝の気持ちをもっている。」

「学んだ中で、○○のところは皆すごくできているな~と思う。」

などなど、メンバーに対しての承認の言葉が自然に飛び出します。

それを聞いて、皆もとてもうれしそう

 

私も含めて私達は、出来ていないところについ視点がいきがちになりますが

自分達の良さや頑張りを再発見できた場

ねぎらいや感謝の気持ちを改めて伝え合えた場

心から感じての言葉は聞いていてとても伝わってくる。心地良い。

 

ほっこりした気持ちで施設を後にしました。

皆さん、ありがとうございました。

 

Q) あなたが最近ほっこりしたことってどんなことがありますか?

 

最後までお読みいただきありがとうございました。

 

 

 

「遊びごころ」

 

私の好きな言葉の一つに「遊びごころ」があります。

 

仕事で「遊びごころ」をちょこっと入れたくなる

その時々で違いますが、

ワークだったり、環境やグッズだったり、資料やテキストだったりに・・・

ほんの「ちょこっと」ね

 

そうすると、プログラムを考える時から楽しくなる

「皆がどんな反応をするのかな~?」と受講生の方に意識が向く

もちろん、私の期待どおりの反応があるとは限りません

その時の私の様子を想像すると、それも笑えます(苦笑いですが)

 

「遊びごころ」は「自分らしく」にもつながっている

 

Q)あなたの中にある「遊びごころ」を活かすとしたら・・・

何をどんなふうにやりますか?

 

最後までお読みいただきありがとうございました。

 

 

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